ソフトシフトの時代、マネジメントに求められる「見えない資産を見る力」

新型コロナウイルス感染症の影響で、長らく続いた水際対策が緩和され、ようやくビジネス目的で出入国ができるようになった。早速、日本の入管手続きがオンライン化しておらず、海外からの帰国(入国)時に 陰性証明書を紙で提出 しなければならないということが明らかになり、これもまたお家芸だと安定して諦念​の境地に達した​。

日本の企業や組織のマネジメントは、なぜIT嫌いなのか。そもそもIT前提経営®︎という整理は、そんな単純な問題意識から出発している。今回はこの問題意識を、目に見えて触ることができる資産という意味のtangible assetと、目に見えず触ることもできないintangible assetを概念として用いて説明したいと思う。


B/Sに載らないが、P/Lを作るもの


例えば営業用の車両や不動産のようなtangible、つまり目に見えて触ることのできる資産は、貸借対照表(B/S)に資産として計上され、償却されていく。経営者は、こうしたtangible assetの扱いについてはとても詳しい。例えば、どのメーカーの車が壊れにくいとか、トヨタのハイエースワゴンは10万キロ走ってもびくともしないとか、さらにハイエースは海外での転売目的の盗難事件に気をつけなければならない、といった知識を当たり前のように持っている。目に見えるものについては、それぞれの資産の特性を詳しく理解し、リスクをしっかり把握し、経営にうまく取り入れている。

一方で、同じようにB/Sに載る資産の中にはintangibleなものもある。世の中の ソフトシフト 化についてはこのブログでも折を見て触れてきた。言い換えるとこれまで損益計算書(P/L)を作ってきた資産が、車両や不動産といったtangibleなものからintangibleなものに置き換わってきている。シェアリングエコノミーが当たり前となり、例えば車両なら、所有ではなく借りる文化になりつつある。「 CASE (Connected/Autonomous/Shared and Services/Electric)」と言われて久しいが、自動車業界自体も「所有から共有へ」というトレンドを意識している。また、かつて企業や個人が軽井沢や箱根に持っていた保養所や別荘も、例えば ADDress SANU 2nd Home のようなサービスを使えば、月々のサブスクで利用できるようになった。買って所有しないためB/Sに載らない。すると、資産ではなく利用料に置き換わる。つまり、 CAPEXではなくてOPEX 、償却資産ではなく月々の経費として落ちていく。これらのtangibleからintangibleへの昨今の急激な移行の背景にはインターネットとソフトウェア、つまり俗に言うデジタルの大衆化があることは言うまでもない。

またintangible assetの中には、B/Sに載るものと載らないものがある。B/Sに載るが目に見えないもので一番有名なのはソフトウェアだ。1千万円でソフトウェアを買ったり作ったりすればintangible assetとしてB/Sの資産(ソフトウェア資産)になって償却されていく。一方、全く同じ機能を持っていてもクラウドサービス(クラウドサービスの実態はソフトウェアである)の月額利用料は資産ではなく毎月の利用料となる。では、B/Sに載らないintangible assetとはどういうものか。


「大人」はなぜ文化の話を嫌うのか〜イノベーションを阻害する要因〜


私の大学の授業に「観光地域経済論」というものがある。地域の観光資源、例えば、私が住んでいる白馬村でいうならば、素晴らしい北アルプスの山々、サラサラのパウダースノーなどは、見ることと触ることができるものの、これらは、どの会社の所有物でもないためB/Sに載らない。しかし、観光の売り上げ、つまりP/Lを作っている大切な資産である。また、観光客誘致のための「アイデア」もB/Sに載らないintangible assetだ。温泉の権利は一部B/Sに載るかもしれないが、温泉の水質が持つ効能を数字に置き換えて資産としてB/Sに載せて償却することはできない。しかし効能をマーケティングで謳えば、人が来てP/Lが構築される。無論、温泉宿が「インスタ映え」するような浴場の写真を撮ってインスタに載せたら客が増えた、というような事例はデジタルマーケティングど真ん中であり(IT前提経営®︎の6大要素の1つ)枚挙にいとまがないし、お客様が勝手にやった「インスタ映え」は無論B/Sに載らない。しかし、それら、B/Sに載っていないintangible assetがP/Lを作っていることは紛れもない事実だ。従って、このようなintangibleなストーリーをしっかりと科学的実証に基づいてデジタルマーケティングのPDCAをまわしていくという行為が重要な経営戦略になる。

目に見えないものに興味がないのか、あるいは見えないから信じることができないのか、ITが弱いと自称するマネジメントは、こうしたintangible assetの扱いが不得意であるように思える。がゆえに、ソフトウェアの特性がなかなか理解されない。昨今言われている Web3 の議論は極めてintangibleで哲学的かつ文化的背景が重要であり、同様に、この40年のデジタル爆発を支えたオープンソースの概念を理解することも重要だ。抽象的で哲学的な話はビジネスに役に立たないと思われるかもしれない。しかし、それらの哲学を正面からリスペクトしているのが、ソフトウェアを開発するエンジニア一人ひとりで、そのエンジニアをマネジメントしているのは、他ならぬ、経営者なのである。従って、この手のintangibleな議論から目を背けては「技術経営」ができず、高度なエンジニアリングが維持できない。その結果、当然DXは進まないし、いわゆる「IT人材」は会社に寄り付かない。

ソフトウェアに特徴的だが、インターフェースとしては画面に見えるけれど、その裏にあるプログラム(コード)とか UI (User Interface:ユーザーとの接点)にはじまるUX(User eXperience:ユーザー体験)は、文化であり感覚だ。1970年代頃に米国の西海岸で中間層としてのハッカーが、オンライン上や大学、あるいは研究機関で、終わりのない議論をしながら作ってきたのがTCP/IP、すなわちインターネットだった。その上に乗るアプリケーションとしてのソフトウェアの多くはオープンソースの精神で頒布され、その文化が今の情報化社会をつくったことは先行研究から間違いない。従って、ソフトウェアやインターネットというのは、車両や不動産がB/Sに載るのとはだいぶ様相が異なり、見えないし触れない文化の理解が必要になる。だからB/Sには載らないが、観光地における山、川、海、綺麗な空気のように、それそのものがP/Lを作っているのである。


最も有名なintangible assetは「知財」


加えて、 米国や中国と比べて遅れをとっているものの1つに、特許の出願件数と その戦略がある。特許取得時に弁理士に払った費用の一部や登録料の一部はB/Sに載るが、やはり、その特許が将来生み出すかもしれないキャッシュフローや、それに伴う将来価値を割り戻した現在価値は当然B/Sに載らない。特許というのは目に見えないintangible assetの代名詞で、商売の成功の鍵を握ることもあるが、こうした知的財産をめぐる戦略が、日本は欧米に比べて遅れていることが指摘されている。 金沢工業大学が知財戦略専門の大学院を創設 するなど、知財戦略の人材育成に着手する動きがようやく出てきてはいるものの、依然として一部の産業を除いては知財戦略に対するマネジメントのマインドは鈍く、知財を含む文化や教育といったアカデミックな文脈が軽視されているように思う。日本のソフトウェア産業におけるR&D費用の計上が世界的に見て極端に低いことは昨今有名は議論になっていて、これもまたintangible assetの議論に直結すると考えているが紙幅の関係上、このブログでは割愛する。


日本の「カーナビ」がディスラプトされた意味


先日、経営している会社で運搬用の車両を購入した際、カタログの中に数種類のグレードのカーナビが載っていたが、それをみて愕然とした。欧米を中心とする輸入車だとほぼ全てで対応している Apple CarPlay Android Auto だが、そのカタログに掲載されているすべてのラインナップで未だ 非対応 だった。自動車のインフォテインメントやインフォマティクスといった分野で圧倒的に便利なこれらの連携機能が使えないのに、ハイエンドのものには平気で20〜30万円という価格がついている。この背景には、日本の大きな車産業が自らのサプライチェーンを守らなくてはいけないという、カスタマーセントリックとは真逆の発想が見え隠れする。つまり、CarPlayなどに対応してしまうと、独自の技術とノウハウでこれまでカーナビにしてきた投資を否定しなくてはならないからだ。従って、世界ではまったく知られていない、あるいは、もっというと私たち日本人ユーザーの誰もが知らない「 NaviCon 」というガラパゴスアプリが使えると記載されている。このことについては、拙著 『「IT前提経営」が組織を変える:デジタルネイティブと共に働く』 に詳しく記したが、身内の理屈が、ユーザビリティーを上回ってしまう理由はApple CarPlayやAndroid Autoといった、intangibleなソフトウェア力をあまりに軽視した結果他ならない。つまりそれは、tangibleなメカとしてのカーナビを過大に評価した結果とも言い換えられる。

私は常々、文化の更新、人事施策、科学の導入の3点が、 実務的なDXの構成要素 だと説明している。一番重要なのは文化の更新で、まさに ソフトシフト化 した社会においてintangibleな世界を理解することにある。ハードウェアの世界ではまだまだ日本企業は世界に対して一日の長がありリスペクトされていることは知っている。しかし、ソフトシフト化した社会においては、ハードウェアは単体では成り立たなく、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)となりソフトウェアとシームレスに繋がる。国内の一大ハードメーカーが次々とソフトウェアベンチャーを買収したり、合弁会社を作ったりしているのは、その焦りからだ。つまり、ハード力だけでは、この時代は勝てないことは火を見るより明らかで、それはintangibleなものの特性をしっかり理解することでしか乗り越えられない課題なのである。



ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー 兼 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
続・まったく新しい働き方の実践〜なぜ働き方は自由にならないのか。DX未完了社会の病理〜(ハーベスト社)2022
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く(近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」(ハーベスト社)2017
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