IT前提経営®️ブログ

2022.02.10

文化的成長を支えてきたコピーの世界〜クリエーターへの利益還元をもたらすNFTの可能性〜

n0940

ここ2回ほどWeb3の概念と、その概念を支える具体的な技術について書いてきた。今回は、そもそもなぜそういった思想のトライ&エラーがデジタル、特にインターネットの世界で行われてきたのか、という話の一端をご紹介したいと思う。

読者の皆さんも、小中高等学校の授業中に先生から新聞のコピーを配られたり、NHKなどのテレビ番組の録画や映画を見せられたりしたことがあったと思う。私も自分の高校や大学の授業で沢山のそういった資料を生徒や学生に配ったり見せたりする。しかしこの行為は著作権法に抵触しないのだろうか。

結論から申し上げると抵触しない。ただし、学校での教育目的に限ってである。著作権法第35条には、学校その他の教育機関における複製等が規定されており、学校等では、現場の教員は個別の許諾をとる必要がないため、事実上問題になってこなかった。

コロナ禍においてはキャンパスや教室ではなく、インターネットで遠隔授業がされる前提となったため、著作権法第23条などの観点で、それが学校の授業であっても公衆送信にあたり、著作者の公衆送信権を侵害するのではないかという議論がされ、現場の教員は右往左往することになった。もともとこの問題は早くから指摘されており、2018年の著作権法改正で「授業目的公衆送信補償金制度」が導入され、施行を待つばかりになっていた。

この制度を運用する指定管理団体のSARTRAS(一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会)が、その権利を2020年度に限って、権利者への補償金を特例的に無償として認可申請し、文化庁が4月28日には無償認可したなど早い段階で整理され、事実上オンライン授業もまた教室と同じような扱いになった。これは教育目的に限定されるため同じ教材を使って同じような形式で行ったとしても、大学教員などが、専門家として企業で講習や講演をする際などは気を付けないと、教室と違って著作者の権利や法律を侵すことになってしまう。

では、私たち一般の個人が著作物のコピーを扱う行為はどのように整理されているのだろうか。基本的にその頒布は当然大きく制限されるが、著作権法第30条において私的使用(個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること)の範囲においては、そのコピーと頒布が認められてきた。

かつて、テレビ放送がデジタル化した際、DVDやHDDレコーダーが主流になり、番組のコピー(録画と録画されたものの頒布)が業界において大きく問題視された時代があった。最初、NHKと民放業界団体の日本民間放送連盟コピー・ワンスというコピープロテクトを実装したが、これは逆に法律で免責されている私的使用の範囲を逆に侵すことになり、ダビング10というレギュレーションに変更され実装され今も運用されている。事実上9回までのコピーが可能となるが、なぜ9回なのかについての議論は極めて甘く、業界団体が法律上認められている市民の権利を勝手に規定することへの嫌悪は今でも根深くある。

一方、インターネットの世界はそもそもすべてがコピーの世界である。したがって、オープンソースの精神がベースに走り、誰もが使える共通財としてのプログラムやデータベース、ミドルウェアコンポーネントなどがそこかしこに存在している。結果、そう言ったものを使ってサービスを開発するベンチャー企業が沢山出てきたのがここ30年くらいの歴史である。逆に言えば、オープンソースの精神が無かったら現在のようなインターネットの世界は存在していなかったはずである。
同時に、著作物の無断コピーに関する事件は後を立たず、違法著作物が氾濫しているのも事実であるが、各プラットフォーマーはAI技術などを使い画像、動画、音楽などを判別しバンするなどの技術も進んだ。

ブロックチェーンというインフラにおけるNFT(非代替性トークン:Non-Fungible Token)というアプリケーションは、どこまでいっても、それが誰のものかを確定できるため、一見、著作者への利益の還元方法の議論に終止符が打たれるように見える。しかし一方で、前のポストで指摘した通り、リミックスやカバー、マッシュアップなど、著作者がその「粋な精神」で認めて成り立ってきた文化をどうするかという議論は残る。

例えばデジタル楽器においては、Steinway & Sonsの音をサンプリング(コピー)して、その音を搭載したシンセサイザーが売れたり、あるいは、歴史的名機と呼ばれるRhodesやWurlitzerなどのエレクトリックピアノの音を完全に模したキーボードを電子楽器メーカーが売ってきた。またオーディオの世界では、自分の音源にかけるリバーブや各種エフェクトにおいて、実存する有名なホールのそれをデジタル解析して、好みに応じて選べるようなシステムも最近は多い。しかしこれらは、そのライセンスを元々のメーカーや著作者、あるいはホールのオーナーに支払ってきたであろうか。同様に、そういったデジタル楽器の音を使って録音された楽曲が爆発的に売れたとしても、そのアーティストやレーベルは、当該の楽器を1回きり購入したにとどまり、そのCDの売り上げを還元することもなかったし楽器メーカー側もそれを要求してこなかった。つまりこういった行為が文化として許容されてきたことにより、その世界に広がりが生まれてきたのである。

NFT的なアプリケーションはクリエイターエコノミーをつくると言われているが、しかし実は、そもそも多くの著作物が、コピーの上にコピーが積み重なり出来上がっており、厳密な管理は出来るはずもなく、もし仮に音色やアイディアのオリジナルの著作者がいたとしても、その著作者の「粋な計らい」によってこれまでは還元が求められず、業界全体として経済的にも文化的にも成長してきたと言えるのである。

冒頭、なぜ著作権法の現行法が学校にそのまま適応されないかは、明らかに教育的配慮であり、子どもたちや、そこに学びに来る人たちの成長を法律を制限してでも優先することで、社会が成熟するというコンセンサスが前提となっていることは明確である。同様に、そもそも私たちの「文化」そのものが幾重にも及ぶコピーによって成り立っていたり、あるいはオリジナルの著作者へのリスペクトによって経済的還元が事実上免除されて育ってきたことを考えると、かつて放送の業界団体が自らの利益を優先するがあまり、間違ったコピーガードを実装したような議論にならないか見守っていく必要があると考えている。1930年代にヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」について「アウラ」という概念を用いて論じた。デジタル時代、その技術の本性は劣化しないコピーであることを考えると、クリエーターエコノミーの議論も包含したかたちで、今一度、ベンヤミンの議論を再考する必要があろう。



ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー 兼 IT前提経営アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
----
高柳の著書はこちらよりご参照ください。
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く(近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」(ハーベスト社)2017
----