「ユーザーインターフェース」としてのハードウェアの重要性
ソフトシフト化 した時代、米国のソフトウェアの雄であるGAFAM5社の時価総額は、 今や日本企業全体の時価総額よりもはるかに大きい という。例えば誰もが知るハードウェア屋、Appleで例えると、iPhoneやMacといった主力ハードウェアの他にApple Music、Apple TV、Apple Arcade、iCloudと、さまざまなクラウドサービス(ソフトウェア)があり、共にサービス化することで次から次へとキャッシュポイントが増えていく。サブスクリプション型SaaS(Software as a Service)ビジネスの成長性が T2D3 (Triple Triple Double Double Double)と言われるように、ソフトウェアのビジネスは指数関数的に売り上げが伸びるため、比較的短期のリターンを求める投資家にも好まれる。こうしたソフトウェアの特徴を受ける形で、ハードウェアメーカーもこぞってそのビジネスモデルをソフトシフト化してきた。では、ハードウェアはこの時代に低価値なのか。現実はそうではなく、むしろ存在感が増してきている。
人間が物質である限り、ハードウェアは必要
これまで、このブログで、
日本の多くのビジネスや組織運営がソフトシフト化に乗り遅れたと言ってきた
。他方、実際には同時に「ハードウェア回帰」というべき現象も起きている。それは、ハードウェアが人間とクラウド(ソフトウェア)の唯一のインターフェースだからだ。コップや皿、椅子、机なども全て、人が「何かの目的」を達成するためのインターフェースとして存在し、その「何かの目的」というのはモノではなくコトである。言い換えると、これまで述べてきたようにtangibleではなくintangibleであり、ハードかソフトかで言えばソフトである。例えば、子どもたちが、机の前の椅子に座って鉛筆を持って勉強する。頭に知識というソフトを入れるための頭と知識のインターフェースとして、椅子や机や鉛筆があるという理解だ。だから、勉強や学校生活という行為はモノ消費ではなくコト消費の典型である。
以前
ブログ
で書いた「デジタルツイン」の話を思い出して頂きたい。デジタルとフィジカルの2つが双子のように(あるいはパラレルワールドやミラーワールドのように)存在する概念の話だが、このデジタルツインの概念において、全てがデジタル側の世界で事足りるならばそれは効率がいい。電脳化し、プラグインしてクラウドに人間の脳のデータを全量通信・全量保存して、クラウド上だけで生きていければ、いずれ人間の体はいらなくなる。SFアニメ「
攻殻機動隊
」のような世界もそれに近い。一方、
ロボット研究者である石黒浩・大阪大学教授
によると、
人間の体は120年ぐらいしか持たない
という。人生100年時代の到来とはいうが、体(ハードウェア)は物質的に衰えていくので物質的なターンアラウンドには限界がある。これが現代的かつ最終的な寿命である。そして、物質として生きている間はどうしても何かモノとのインターフェースが必要になる。目下、人間の社会が極端に忙しくなり効率化を求めるので、ソフトウェアとのインターフェースを取ろうとする。物質的なハードウェアの世界は、ソフトウェアの世界に比べて、コストが高く、動きが鈍く、そしてフィジカルに劣化していくからである。
つまり、人間が「生身」の人間である以上、必ず、「ユーザーインタフェース」が必要で、それは事実上、ハードである人とソフトウェアとの間をインターフェースするモノ、つまりIoT(Internet of Things:モノのインターネット)的な何かだということになる。
ハードウェア大手とソフトウェアベンチャーが協業する時代の意味
例えば、自動車にはなぜハンドルがあるかというと、それは人間に腕があり手があるからであり、ゆえに自動車はあのようなユーザーインターフェースになっている。その自動車の世界にはテスラが登場し、ソフトシフト化が一気に議論され進んだと思われているが、しかし同時に、ハードウェアの能力が見直されてきている向きもある。
例えば、ドアを閉めた時のボディとドアの隙間の段差を揃える「チリ合わせ」での日本の技術力は頭抜けており、ミリ単位のレベルで上から下までピタッとあっている。少し前の欧州車などは立て付けが悪く、フェラーリのような工芸品に近い高級車でも、このチリ合わせがダメだった。実際、昨今発売される欧州のプレミアムブランドでも、国産車のそれには叶わない車もたくさんある。これはまさに日本が得意な金型の世界であり、それはハードウェア製造そのものである。結局、人が知的に成長し、知的に欲望を追求した場合、最終的に求めるハードウェアとしての自動車の美しさはその機能性だけでなく、細部に宿ってくる。その技術が日本の強さであり、フィジカルなものを必要以上にマジメに作ってきたというのが、ソフトシフト化した時代に海外からも評価されている付加価値だ。
金型工作機械商社の
ミスミ
が
meviy
(メビー)というサービスを始めた。
3DCADで描いたデータが、クラウドにアップされ、そのデータをもとに、部品がすぐさま製造されて、商品が手元に届くという仕組み
で、
機械部品の見積もりや製造にかかる時間を大幅に短縮
したことで話題になった。
また、産業機械専門商社大手の
ユアサ商事
は、AIベンチャーの
コネクトームデザイン(COD)
と
資本業務提携し、これまで人間の手で行われてきた製造工程を、ロボットを組み合わせたAIを実装することで自動化することに乗り出した。前述のミスミもmeviyでの調達サービスを加速するために、ソフトウェア会社、
コアコンセプト・テクノロジー(CCT)
と
合弁会社を作っている
。
ミスミの時価総額は一時
1兆円を超えた
。これらはハードウェアを扱う商いの大御所がモノビジネスからコトビジネスへ移行する中で、ソフトウェア企業と協業した国内の一部の事例であり、IT前提経営®︎の6大要素における「IoT×ビッグデータ×AI」の現象そのものである。
「チープ革命」がもたらしたIoT社会
人間とクラウド(又はソフトウェア)のインターフェースをとるのは、ハードウェアしかないという、当たり前の事実に市場や人々の評価が回帰しつつある。ハードウェアとソフトウェアという
まるで違う2つの文化
の融合へのチャレンジが、ミスミやユアサ商事の事例を見てもわかる。
「IoT×ビッグデータ×AI」でいう「ビッグデータ」は、いわゆるバズワードとしての「ビッグデータ」ではない。巨大なデータベースはこれまでもあったし、AIも今に始まった話ではない。ただ、この10年で「IoT×ビッグデータ×AI」という「組み合わせ」が一般化したことで物ごとが一気に前に進んだ。随分前に『
ウェブ進化論
』で梅田望夫氏が「チープ革命」と言ったが、IoTの文脈でチープ革命の事実を誰もが知ることになり、同様にハードウェア単体はコモディティ化して久しいが、これらのコモディティがソフトウェアと組み合わさることによって大きな価値が生まれた。
コンピューターの処理速度が速くなったことによって、大量のデータ、つまりビッグデータが扱えるようになり、ハードウェアがインターネットに接続され、あらゆるモノがインターネットでつながるIoTの世界観が現れた。世の中の監視カメラのほとんどは汎用品すらオンラインになったし、
CASE
(Connected:コネクテッド、Autonomous:自動運転、Shared & Service:シェアリング・サービス、Electric:電動化)に代表されるように、これまでの時代の典型的なハードウェアである車もソフトシフト化した。その正体は、運転支援技術だけとっても、大量に仕込まれたセンサー類(ミリ波レーダー、複眼カメラ、ライダーなど)によって、塊としての車(ハードウェア)がセンサーを介してIoTと化し、クラウドに繋がってサービス化したものである。
必要なのは「ハードとソフトの両文化の理解」
人間とのインターフェースをどうとるか。行き過ぎた部分も指摘しておきたい。だいぶ前に
ブログ
にも書いたのだが、インターフェースがタッチディスプレイに移行し、レバーやボタンなど、トグルスイッチが消えていっているという話だが、言い換えれば、これもデジタルシフトによってデジタル・ディスラプションした典型的な事例だ。トグルスイッチを作ろうとするとデザイン、設計をして金型を作らねばならないが、ディスプレイだとソフトウェアのコードの一部を書き換えるだけでできる。とてつもなく大きなコスト減だ。ただ、運転しながらタッチディスプレイを操作するのは至難の業だ。トグルスイッチなら凸凹があるから手探りで触ることができるが、タッチディスプレイだとパソコンのように凝視しなければならず、運転中の揺れる自動車で特定の場所をタップするのは難しい。前方注意義務違反になるリスクがあるし、事故も誘発しそうだ。
あるいは、オンライン化した大量の監視カメラも「犯罪抑制上、役立っている」という文脈のもと関連法案も可決され、日々増え続けているが、かつて「
逆パノプティコン社会
」と揶揄された
監視社会のはじまり
だという指摘も無視はできない。
ハイプ・サイクル
が科学的事実だとすると、少しすれば揺り戻して「ちょうど良い」ところに落ち着くことを期待したい。
インターフェースを軸としたハードウェア回帰は重要だが、ハードウェアだけで完結するということでもなく、あくまでハードウェアとソフトウェアが適切にバランスをとって融合していかなければならない。そうなった時、
ハードウェアエンジニアリングとソフトウェアエンジニアリングとがお互いの世界をしっかり理解
しなければならない。日本が戦後の高度経済成長の中で、ハードウェアを得意としてきたのには一日の長があるが、マネジメント層に求められるのは、したがって、ソフトとハードの両方の特性だけではなく、それらを支える「文化」を理解するリベラルアーツの力であり、その結果、実践として、双方をバランスよく融合していく力でもある。その点で、ハードウェアメーカーとしてスタートしたAppleの歴史はとても参考になり、この論点は2016年に封切られた
映画『スティーブ・ジョブズ』の中にも描かれている。もしご興味のある方はぜひその視点で改めて観て頂きたい。
ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
続・まったく新しい働き方の実践〜なぜ働き方は自由にならないのか。DX未完了社会の病理〜
(ハーベスト社)2022
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く
(近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」
(ハーベスト社)2017
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