APIエコノミーが孕む生態学的リスク

前回のブログで、技術の標準がどの様に決まっていくかを、黎明期のテレビの事例を挙げて説明した。これは、私が12年ほど前に書いた研究ノートをベースにしたが、その中で私は、テレビに加えてインターネットについても、標準化のプロセスについて述べている。インターネットはテレビとは違って「開かれた自由な技術の決定プロセス(オープン標準)」によって進化してきた側面がある一方、背後にはやはりテレビと同様、一定程度の政策 の関与が認められ、がゆえに「完全な自由」ではなく、 イシエル・デ・ソラ プールが言うところの「自由という政策」 であり、アメリカという国家の思惑が透けている、という内容だった。今回は、インターネットの開放性や自由度の象徴とも言えるAPIエコノミーが孕むある種のリスクについて、問題提起をしたい。

APIエコノミーというのは、ソフトウェアの一部機能や情報を共有する仕組みであるAPIを利用することによって、より便利な機能を利用することが可能となり、それによってさまざまなサービスやデータがつながって生まれる経済圏のことをいう。例えばsalesforce.comやGoogle、Amazonといったプラットフォームに、小売のオンラインショップを連携したり、 POSを連携したりといった具合で広がっていく。

APIイメージ図
つまり、自力で一から作らず、すでにある便利なものを、うまく組み合わせて使おうということだ。これまで説明してきたように、かつての企業は、自らの業務システムをゼロから構築する文化があったので、結果、作ったものが増築増築を繰り返して管理不能になる事例も多かった。役所はこの問題を「2025年の崖」という文章で警鐘を鳴らし、「クラウド・バイ・デフォルト宣言」をするなどリードしていることはかつてお伝えした通りだ。私たちは長く「Fit to Standard」とか「No Making, Just Using」という言葉を何度も使い、既にあるサービスをうまく組み合わせて使いましょう、と顧客にアドバイスをしてきた。

詳細は、 過去のブログ に書いているので読んでいただきたくとして、今回は、2013年に研究ノートにまとめた 「ウェブサービスの生態系──“ウェブエコシステム”の分析に関する一考察──」 の中で書いたことを、現代的にアップデートした形で改めて説明させて頂きたい。

生態学に「共生」と「寄生」という言葉がある。例えば、Salesforce.comだとかGoogle Workspaceという宿主がいて、APIを公開する。そうすると、そのAPIに連結して、別の誰かが、その宿主の機能やデータを使って、何か新しい気の利いたサービスを始める。つまり寄生する。生態学の中で「寄生」と「共生」というのは区別があり、「共生」の中でも、宿主とそれに寄生する側の関係が(+,+)か、(-, -)か、あるいは、どちらかが得をしてどちらかが損をするか(+,- or -,+)、という三つがある。お互いにプラスの場合を双方向が得をする共生、つまり「双利共生」といい、どちらか片方が得をするものを、
「片利共生」と言っている。「片利共生」の場合、最終的に宿主が寄生する側を取り込んで食ってしまうこともある。

この研究ノートは9年前に書いた文章だが、現在のAPIエコノミーの文脈において、生物の世界で起きていることと同じことが起こっていることを指摘していた。

少し古い話だが、同ノートでは、TwitterのAPIを利用していたTweetdeck というダッシュボードの例を挙げた。Twitterに投稿したり、TwitterやFacebookやその他のSNSに同時に投稿できたりするマルチポストのサービスで、Twitterが公開しているAPIを使ってものすごい勢いでユーザーを増やして行った。Twitterにとってみれば、その瞬間は、双利共生でなく片利共生でしかなく、つまり寄生された形になる。Tweetdeckにしか得がない。そういう状況を受けるかたちでTwitterは、APIの利用に条件を付けて敵対的な行動に出た。そうすると、宿主に寄生しているTweetdeckは事実上APIの利用ができなくなり、やがて買収されてしまった。

この他にFacebookとInstagramの関係はあまりにも有名な話だが、かつてFacebookはInstagramに対して、APIを経由して位置情報を提供していた。その後、Instagramのユーザーが伸びたので、「危機感」を抱いてか、APIの提供に条件を付けはじめ、最終的に、宿主の優位な立場を利用し、こちらも買収に持ち込んだ。APIを提供する側である「宿主」は、その生態系の上流に位置し自らの生態系をつくる、圧倒的に優位な立場にある。

つまり、言い換えると、ビッグデータが非常に重要になってきたということが言える。例えば、気象庁は気象のビッグデータを持っている。無論一部のデータはAPIを経由して一般に提供されているため、研究や民間の活動に使われ、アプリなどを通して私たちは精度の高い、または、自分の志向にあった天気予報をみている。この場合、私たちの税金で構築されたビックデータが気象庁を媒介に専門的なビックデータになり、それがAPIとして公開されることで、民間企業の活動を通して私たちが利益を得ている。

例えばある大手不動産会社が、不動産に関する大きなデータベースを持っているとする。そこが、APIを公開したと仮定する。関係する企業や個人がそのAPIと連携したサービスを作り多くのユーザーを集めてビジネス的にも成功したとしよう。この段階まで静観していた宿主たる大手不動産会社は、ユーザー増とビジネスの成長を見計らって、API利用に経済的な条件を付け加えたり、極端な場合は、APIの提供を止めたりする。宿主にAPIを制限された寄生する側は、大きな痛手を被る可能性が出てきて、宿主の言いなりにならざるを得ない。

つまり、あるAPI(その先にあるビックデータや優れた機能や、それらを使うユーザー)に依存して(生態系の表現であれば寄生して)サービスを立ち上げるということは、将来に大きなリスクを孕むことがわかる。API利用は、サービスの立ち上げ期にはとても便利である一方、同時に宿主に依存するため、その宿主の将来の戦略を正しく想定して利用しなければならず、従ってAPIの利用に対しては、高度な経営判断が求められる。例えば、資本提携をする前提でデータを利用させてもらうとか、そこまで行かずとも業務提携関係の中でAPI利用をする。ただ、API利用に依存したサービスの展開の中で、これまでの関係が悪化すると、つまり、生態系がバランスを欠く状況になると、いずれ宿主側が、データの所有権を主張してAPIを止めたり、知財を主張して裁判を起こすことは想定できるのだ。

APIエコノミー自体は紛れもなく効率的で企業が利用すべき概念であることは事実だ。したがって国も「2025年の崖問題」の解決として「クラウド・バイ・デフォルト原則」を打ち立てたし、私たちも、「No making, Just Using」をキーワードにアドバイザリーサービスを行っている。しかし、ユーザー企業の活動によってクラウドサービス内に蓄えられた貴重なデータは一体誰のものか(ユーザー企業のものか、クラウドサービスベンダーのものか)という争点をブログ化した通り、所有権やビジネスのイニシアティブの所在について曖昧な点も多くある。

API連携という手段ひとつとっても、今回述べてきた様に、そのサービスやサービスの提供企業の生き死にがかかってくるような大ごとであるということを念頭においたサービスの立ち上げや展開が、企業活動の自律性やサスティナビリティの観点から不可欠だということは言うまでもない。



ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー 兼 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く (近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」 (ハーベスト社)2017
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