【標準化の時代から多様化の時代へ】IT前提経営の6大要素の意味

こんにちは、高柳です。

「インターネットの社会化」みたいなことを長く考えていると、必ず「標準化」のことを考えなくてはいけなくなります。例えば、いわゆる「 デファクト標準 」や「 デジュール標準 」の議論もそうですし、なかなか、複雑な世の中になってくると、インターネットのように「オープン標準」と呼ばれるような前の2つには大別されないものも出てきます。

ISO(International Organization for Standardization) という組織がありますが、いわゆるトップダウンの標準化の目的は効率化やその伝承にあります。ネジはISOで右回りで締まると決められていますが、これが決まっていないと大変なことになります。この議論は 私の近著『IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く』 の中でも触れましたのでご興味があればぜひご一読頂きたいですが、電車の線路の幅(狭軌や標準軌)の議論や、もっと身近な話ですと、日本の機械式駐車場の多くが1850mmの全幅で作られているため、安全とスピードと安定のために日に日に大きくなる車が駐車場に収まらなくなっているという大きな問題についても、標準化の議論を援用しています。

この議論をもうちょっと俯瞰させてみると「活字を読む」や「活字を書く」というのも立派な標準化だと言えます。ご承知の通り、私たちの社会の成り立ちの中で、集団が集団として成熟するためにまずは効率化をはかり、その結果として文字が登場したのは有名な話です。

したがって、これまでの私たちの社会は「活字の読み書き」が得意な人のため「だけ」に作られてしまった感があります。日本の識字率は極端に高い一方で、活字の読み書きが比較的苦手な人は、競争に不利である社会とも言い換えることができます。

そんな中、そのオルタナティブとして、動画のようなものが大衆化してきました。つまり、必ずしも活字に依らない価値観が出来上がってきて、活字が標準化したように、動画でのコミュニケーションも標準化していくのだと思います。

別の切り口では「朝起きて、スーツを着て、会社に出社する」という行為もまた、標準化されています。この行為のことを標準化と呼ぶ人は少ないと思いますが、「フォーマット」とか「プロトコル」と言い換えると、少々馴染むのではないでしょうか。朝早く起きて、マラソンで汗を流し、コーヒーを飲み、スーツで颯爽と出社をする、と言えばウォール街のエリート金融マンのようなフォーマットになります。こういった標準化の促進剤としてメディアが使われますが、いま私が書いたウォール街の金融マンのイメージは、差し詰めハリウッドの「メディア表象」です。私は旅行でしかアメリカの東海岸に行ったことがないですが、そう書けるのは「メディア表象」のためです。

さて問題は、この標準化について、その「オリジン(起源)」と「プロセス(過程)」が忘却されがちだということです。これはメディア論の中でもよく語られる言説です。朝起きてスーツを着て出社するという標準を、最初に誰がやったのか(オリジン)を知っている人はいないと思います。そして、それが標準になるまでのプロセスを説明できる人もいないでしょう。

私たちは、標準化のオリジンとプロセスを「完全に忘却」した上で、その標準化の完成品である「標準(standard)」だけを消費しているのです。

企業経営や組織運営における、 内部統制 ISMS プライバシーマーク といったような認証取得でも同じ現象がみられます。認証の取得の過程が最も大切なのですが、一度取得してしまうと、そこから先は、単に認証の更新に血道を上げることになります。したがって、取得したからといって、業務が合理化されていたり、個人情報が漏れないようになっていたりするわけではないということは、誰もが薄々気づいていることです。

もっと言うと「12ヶ月」という概念もそれに近いと思います。私が学生で最初の会社をスタートしたときに、地方議員と国会議員が若い起業家から意見を聴取する場に参加しました。その人たちは若い起業家に優しい社会にしたいと言っていました。では、ということで、私は「ボクにとって12ヶ月は短かすぎるから、最低でも24ヶ月決算にならないか」と言って大笑いされたことがあります。

しかし、私からすれば、12ヶ月は早すぎたのです。24ヶ月だったらなんとかできるかもしれないと本気で感じていました。つまり今あるビジネスモデルやビジネスエリート人材は12ヶ月に最適化されているのだと思います。その中においては24ヶ月で花開くビジネスモデルや36ヶ月で花開く人材は、標準ではないのです。

スーザン・ケインが2012年に行ったextrovertsとintrovertsの話 では、アメリカのビジネスリーダーたちが「標準化」されていることに警鐘を鳴らし、introvertsへの着目を促しました。あるいは若い人たちの起業はequity financeを伴うことが重要だというような標準は、そのオリジンやプロセスを完全に度外視してメディア表象でしかないレベルだと思います。無数に選択肢がある中の、ほんの1つに過ぎないことを標準化し、そして消費していくことを効率化と呼んでいます。しかし、忘却された「オリジン」と「プロセス」によって標準外となってしまった人材を含む「資産」が実はとても大きいのだと私は考えています。

一方で「12ヶ月標準」の社会において「LTV(Long Term Value)」みたいな哲学を言い出す人たちが現れました。四半期決算をしながら、あるいは、四半期に追われながらどうやってLTVといった価値観を維持するのか、本当に不思議ではあります。同様に、SDGsという標準もまた、そのプラットフォームは12ヶ月であり、つまり四半期で「短期的」にSDGsを実践しなくてはなりません。

もはやここまで来ると「折り合い」をつけるしかなくなっている感すらあります。

そして現れるのが「逆張り」です。私も10年以上前に「ノマドワーク」と言い出し、本まで出版( 前著『まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」』 )しました。つまり、丸の内の一等地や、渋谷のインテリジェントビルにある素敵なオフィスに出社することが標準の時代に、オフィスを捨てるという逆張りをするわけですが、「ノマドワーク」を定義付けた瞬間、標準化へのプロセスが躊躇なく走り出し、その結果としての標準のみが消費されることになります。ここでも当然「オリジン」と「プロセス」は忘却されています。

このことは要素還元主義とも言い換えられますが、すべては一種の効率化のために繰り返し社会の中で起こってきたことです。

複雑系だとか多様化だとか言われますが、一方の私たちの様式そのものが「標準化」されて効率化されていることは、前述のように、「動画での理解力は高いが活字の理解力が低い」という人材を、標準の外に位置付けてしまい、多様化を主張するエリート自らが、多様化を否定することになっているように思えます。すなわち、上記いずれのマイクロな事例も、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる様相を呈しているのが現在だと理解しています。

「IT前提経営®︎」の6大要素の中に「デジタルマーケティングの適切な導入」という要素がありますが、これを考える時、当然ですがペルソナの分析を試みます。その際、多くの人は「BtoCであってもBtoBであっても今の時代、動画は重要だ」と言います。つまり実態として人々が活字から動画に移っているかもしれないと思っているにも関わらず、日頃の組織運営や企業経営の中では活字セントリックな運用をしているのです。実はこの現象が至るところで起こっており、いわゆるDXを阻んでいる要因だと解釈しています。

<IT前提経営®︎の6大要素>

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したがってDXの阻害要因の多くは、人の理解の問題ではなく、実践または実行(execute)の問題なのです。本を読み、セミナーに参加すれば、誰もがテクノロジーについて正しく理解し、必要だ、と言います。DXが進まないという問題の多くは知識や経験の問題ではなく実践または実行の問題なのです。

したがって、私どもがご提供しているTDMAは、お悩みに対して知識を強要するのではなく、既にお持ちの知識を活用して、いかに実践または実行するのかということを後押しする仕事が多いのです。

 

ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー
株式会社ウェブインパクト 代表取締役
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹

 

 

 

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