M&Aの文脈における会社の把握の仕方について

過去20数年の間、インターネットが電気や水道のようにインフラ化したことにより、入手可能な情報ソースが格段に増え、M&Aのための会社の情報収集の仕方も大きく変化した。

会社四季報と冊子版の有価証券報告書、ドットプリンタから印刷される帝国データバンクの企業情報を頼りにしていた頃から、Bloombergなどの専用端末・ソフトウェア、ググれば公開情報は瞬時に無料で入手可能になるなどを経て、現在は、非上場企業を含めた会社情報をきわめて安価に入手できるクラウドサービスも存在する。

一方で、これが揃えばM&Aの観点で会社のことを把握できて説明もできる、という仕上がりのアウトプットを提供してくれるサービスは未だ発見できていない。

M&Aを進めるうえで、何の情報が揃うと会社のことがわかり、判断や行動につなげることができるのかを掘り下げてみる。


会社の輪郭は、事業概要、売上高、EBITDA(+ 時価総額)の基本3要素で描ける


会社の情報というとどのような要素に分解できるだろうか。名刺管理で有名なSansanで会社の情報を表示すると、企業概要、住所、URLが基本項目として表示される。連絡先の管理としてはこれでよいかも知れないがM&Aの検討には少々物足りない。会社四季報をみてみると事業の特色から株主情報、株価チャート、財務情報、時価総額、業績予想、主幹事やメインバンク等々、多くの要素が記載されている。しかし、これを基に人にわかりやすく説明するのはなかなか難しい。

結論から言うと、会社の輪郭は、事業概要、売上高、EBITDAの3つ、できれば加えて時価総額があれば簡潔に語ることができる。20代の頃、在籍していた米系投資銀行において、ニューヨークのシニアバンカーへのメールで日本の会社を説明するのには工夫が必要だった。社名だけ伝えても返信は来ない(忙しいので先方は調べてはくれない)。つらつらと丁寧に説明しても、箇条書きにしても返信は来ない(忙しいので先方は読まない)。相手に返信行動を促すに至らない。結局行き着いたのは、上記の3点ないし4点を一文で書くこと。
“Nippon Steel, a leading Japanese steel manufacturer with xxx in market cap, xxx in revenue and xxx in EBITDA” のように。この書き方をするようになってから、すぐに返信がくるようになった。ロンドンやパリのシニアバンカーにも通じたので間違いないのだと思う。ここでは基本3要素と呼ぶようにする。

どんな事業を行っていて、どれぐらいの事業規模で、どれくらい利益が出ていて、わかるならば市場価値はいくらなのか。 それを典型的に簡潔に表す要素が事業概要、売上高、EBITDA、できれば加えて時価総額になる。M&Aの買手としてもターゲットとしても、これが揃うとその組み合わせの戦略的合理性、財務的な実行可能性を粗々捉えることができる。

M&Aの観点では、それ以外の情報をいくら並べても、この基本3要素に勝ることはないと言ってもよい。若干補足すると、EBITDAのような利益情報は重要で、類似する会社の評価倍率をかけると、10億円の利益で倍率が8倍だと80億円などと企業価値が概算できるため、特に非上場企業の利益水準の情報には大変価値がある。プライベートエクイティの方と会話する時には、EBITDAの数字だけで会話が成り立つこともある。

買手候補企業やターゲット候補企業をリスト化した、いわゆるロングリストに記載する情報も中核はこれらの情報になる。株主の情報を加えてみたり、EBITDAの代わりに営業利益を用いたり、実際にはリストの目的に合わせた工夫が行われるが、やはり基本3要素は大事である。社名と事業概要と主要商品・サービスなどが綺麗に並ぶリストがあっても、ロングリストとして用いるには不十分になる。


基本3要素がわかれば、社名がわからずとも初期的なM&Aの検討はできる


M&Aのアドバイザーは、買手候補企業にM&A取引への関心を確認するためにティーザーと呼ばれる案件概要資料を用いるが、秘密保持を約する前は社名を伏せて匿名にすることも多い。ここでも重要なのは基本3要素になる。社名がわからずとも基本3要素がわかると会社の輪郭を捉えられるためである。それがおおよその数字であっても良い。

逆に言うと、他のことがつらつらと書いてあっても、基本3要素を把握せずに本格検討に進むと、お互いに時間の無駄になる可能性がある。これらの情報がない提案や打診を受けた場合には、いったん取引の実現性に疑問を感じた方がよいかも知れない。提案や打診をする側からすれば、その情報を得ているならば提供しないはずはない。情報が提供されない理由を確認すべきである。

基本3要素を起点にして、売主である株主は誰か?株主構成は?主要商品やサービスの特徴は?経営陣は?拠点はどこにあるのか?過去の業績、将来の見込みは?など、知りたいことが溢れてきて、秘密保持契約を結んででも検討をさらに進めてみようか。売主と一度話をしてみたい、などと進んでいく。


M&Aの実務プロセスの多くは基本3要素を深堀りして会社の鮮明度を上げる作業が占める


しかしながら、さすがに基本3要素だけで買収の決断をするのは難しい。売り手側にアドバイザーがいれば、インフォメーションメモランダム(IM)と呼ばれる数十ページの検討用資料が用意されており、より詳細な情報提供を受けられる。主な構成は、取引概要、会社概要、事業モデル、組織体制、財務実績、事業計画、市場環境などからなる。これらは基本3要素をより深堀りするための情報であるとも言える。事業、売上、利益とそれを支える経営について、その現状と過去・未来について詳細が書かれている。

デューデリジェンスに進むと、最低限、ビジネス、会計・税務、法務の分野で詳細な調査を行うことが多い。この作業も、大雑把に言えば、基本3要素へのより深い理解とその検証作業の意味合いが強い。これらをもとに企業価値を計算して買収価格を決め、交渉をうまく妥結させて取引を完了させるためには別の作業と能力が必要になるが、それらについてはまたの機会に考察してみたい。


会社に関する情報の圧縮技術と解凍技術


あらためて整理すると、M&Aの文脈で会社を把握したり説明する時に意味のある最も圧縮された情報が基本3要素であると考えている。もちろん、会社をより深く正確に把握するにはもっと大量の情報が必要である。M&Aに長年関わり企業分析や取引の経験が蓄積されると、圧縮技術が属人的に高まり、ある会社についてはじめて聞く相手に伝える際の説明が洗練されていく。事業概要の簡潔な説明が秀逸になっていくし、売上高やEBITDAが明確にわからない場合にどのような代替情報や補足情報を用いれば相手に把握してもらえるかの工夫も洗練される。

逆方向もあり、M&A経験を重ねていくと、基本3要素を起点にして様々な業界、会社、企業価値、過去のM&A取引の知見等をもとにした情報の解凍技術が属人的に高まり、想像力をもって、今後何を深堀りしていかなければならないか、M&Aの実行可能性はあるか、と言ったことを語ることができるようになる。

十を聞いて一で語り、一を聞いて十を語る技術は現在では人に属している。M&Aの文脈で会社のことを把握できる仕上がりの簡潔なアウトプットを提供してくれるサービスが未だないのは、企業情報サービスプロバイダーにはM&Aのノウハウがないからだ、と解釈できるかも知れない。日々の現場で、個々の担当者が企業情報について圧縮と解凍を日夜繰り返す作業はまだ続きそうである。



ガーディアン・アドバイザーズ株式会社
代表取締役社長 兼 経営推進グループオフィサー
佐藤 創

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