大井
前回は、株式取得によって会社を買収するケースを例に、M&Aとは最終的に「株式を売買する」という非常にシンプルな行為であること、そしてその行為をいかに安心して実現するかというプロセスの全体像を教えていただきました。今回は少し視点を変えて、そのプロセスを実際に動かしている「人」に焦点を当てて、お話を伺いたいと思います。
M&Aは売り手と買い手だけで完結するものではありませんよね?
佐藤
そうですね。M&Aは法的には売り手と買い手との取引に見えるけれど、実際には非常に多くの「登場人物」が関わっています。
まず、重要なのがM&Aの「対象会社」そのもの。たとえば「A社を買収する」という話があった場合、デューデリジェンスで質問を受けるのは、売り手や買い手ではなく、A社自身。
大井
確かに、会社の中身を最もよく理解しているのはA社自身ですよね。
佐藤
そうです。決算書の数字の背景を説明できるのも、事業の実態を語れるのもA社自身。だから、対象会社の協力がなければ、デューデリジェンスは成り立ちません。
大井
なるほど。では、売り手や買い手、対象会社以外の「外部の人たち」はM&Aの中でどのような役割を担っているのでしょうか?
佐藤
まず典型的には、各分野の専門家がいます。M&Aは契約行為である以上、ほぼ必ず弁護士が関与します。さらにデューデリジェンスの局面では、会計は公認会計士、税務は税理士、法務は弁護士というように、専門分野ごとに役割を分けて進めます。
大井
社内だけで全て完結させるのは、なかなか難しいのですね。
佐藤
よほど強い経理や法務のチームが社内にいて、デューデリジェンスなどに割く時間があれば、内製するケースもありますが、多くの会社は外部の専門家に依頼します。また、ファイナンシャル・アドバイザー(FA)を雇うことも多くなっています。
大井
FAは、どのような役割を担うのですか?
佐藤
M&A全体のプロセスを設計したり、「この会社はいくらで買うのが妥当か」というバリュエーションを行なって買収価格の判断材料を提供したり、交渉の進め方を整理したりします。
案件全体を俯瞰して、関係者と調整しながら前に進めていくプロジェクトマネジメントと、重要な意思決定をサポートするのが主な役割になります。取引金額が100億円、200億円と大きくなる案件では、多くの場合、FAが関与しています。
案件によっては、ITデューデリジェンス、環境デューデリジェンス、人事デューデリジェンス、保険デューデリジェンスなど、さらに専門分野ごとのプロフェッショナルが加わることもあります。
大井
想像していた以上に、かなり細かいところまで見ていくのですね。
佐藤
特に、自分たちがこれまで手がけたことのない事業を買収する場合は、なおさらです。
ビジネスモデルそのものを理解できなければ適切な判断ができないため、「ビジネスデューデリジェンス」として、コンサルティング会社に事業の中身を整理・評価してもらうケースもあります。
大井
上場企業のM&Aになると、さらに論点が広がりそうですね。
佐藤
そうですね。上場企業が関与するM&Aでは、株主総会での承認が必要になる取引もあります。
その場合、株主への説明や議決権行使の働きかけを担うプロキシ・ソリシターや、IR支援会社が関わってくることがあります。状況によっては、ステークホルダーとのコミュニケーションを担うPR会社が入ることもあります。
大井
PR会社、ですか?
佐藤
案件が今いる株主だけでなく資本市場や世論にも認められるために、「どの案が会社にとって望ましいのか」をきちんと説明する必要がある場合があります。かつて、現在の三菱UFJフィナンシャル・グループの前身である、旧三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスの統合をめぐって対抗提案が並行して検討された時期がありました。そうした局面では、企業価値の向上や株主利益の観点から各案が株式アナリストやメディアから比較・評価されることになり、株主も投資家もそれらを参考にして影響を受けます。
大井
株主や世論の支持を得るという意味では、選挙に近いところがありますね。
佐藤
まさにその感覚に近いです。有識者に状況を説明して意見を求めたり、メディアでどう伝わるかを意識したりと、コミュニケーションの取り方が非常に重要になります。アメリカでは、こうしたM&Aをめぐるコミュニケーションの手法がかなり発達しています。
大井
政府が関わるケースもありますよね。
佐藤
よくニュースを見ていますね。まさにその通りで、案件の社会的な影響が大きくなると、当事者同士が合意すればそれで終わり、というわけにはいきません。
規制当局や政府による承認が求められる場合もあり、その対応を実務・法務の観点から支援するのも、FAや弁護士の役割の一つになります。
大井
最近だと、日本製鉄とUSスチールの話も、まさにそうした例ですね。M&Aというと当事者同士の取引というイメージを持ちがちですが、実際には想像している以上に多くの人や組織が関わりながら進んでいるのだと分かります。
佐藤
最終的に行われるのは会社や事業を「売り、買う」というシンプルな取引ですがそこに至るまでの過程では、案件の規模や社会的な影響に応じて、驚くほど多くの人が関わることがあります。
M&Aは、多くの当事者と専門家が関与する、大きなプロジェクトなのです。